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西光寺が保管する絵馬などを調べる小野寺佑紀さん=2025年12月5日、宮城県気仙沼市要害、福留庸友撮影
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 太平洋戦争中、軍需物資の輸送や敵の監視のため、多くの民間船が戦場に駆り出された。現在の宮城県気仙沼市域で操業する漁船も、例外ではなかった。ただ、その歴史は地元ですら、ほとんど語り継がれていない。戦後80年の今年、この「知られざる歴史」に、地元の研究者が光を当てた。

 日本殉職船員顕彰会の統計によると、太平洋戦争で徴用された民間船は7千隻を超え、4千隻を上回る漁船や機帆船が失われ、6万643人が亡くなった。その約3割の1万9千人は20歳未満だった。

 さらに、戦争に参加した人数に対する戦死者の比率(損耗率)は、徴用船員は推計で43%と、陸軍20%、海軍16%と比べても倍以上で、徴用船員の悲劇の大きさを際立たせる。宮城県の戦没船員は1293人を数える。

「実態いまだに詳細不明」

 ただ、その実態は「いまだに詳細は分からない」。神奈川大学日本常民文化研究所で、特別研究員(民俗学)を務める小野寺佑紀さんは言う。

 気仙沼大島で生まれ育ち、今も住民として暮らす小野寺さん。気仙沼の徴用船員について何とか後世に伝えようと遺族から話を聞いたり、地元漁協に残された資料や寺に奉納された絵馬などを調べたりと、残された細い糸を1本ずつたぐり寄せるように研究を続ける。

 地元漁協に保管されていた貴重な書類は東日本大震災で津波をかぶったが流失を免れ、神奈川大の文化財レスキューの支援で洗浄された。2015年から、せっかく残すことができた資料を活用しようと、大島の歴史を調べ直したことが、研究を始めたきっかけだ。昭和の歴史を調べると、戦時徴用船の話にポツポツと行き当たったという。

「徴用船の活動は軍事機密」

 「漁業の発展の裏には海難の…

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